思い出の京阪電車旧淀駅の詳細

思い出の京阪電車旧淀駅
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記事タイトル 思い出の京阪電車旧淀駅
概要

今回は、前回の投稿記事を書いている途中で、自主規制している画像の貼りつけ枚数の許容限度からあふれてしまった京阪電車関連の画像集です。高架になる前の淀駅を通過する1900系のイベント列車のようです。左奥が江戸時代の淀城跡です。(2003年) 旧淀駅の下り線側の駅舎です。私…… more は、今は馬券を買いませんけれども、若い頃は京都競馬場や阪神競馬場まで毎週のように出かけたものでした。今は、最新の競馬知識がほとんどなくなっていますので、他のブロガーの方の競馬関係の記事への「いいね」や「コメント」は控えています。 旧淀駅の下り線側の駅舎を入ったところです。右側が通常の下りホーム(本線側)である2番線です。左側の3番線が京都(淀)競馬開催日を中心に使われていた行き止まり式の3番線ホームでした。2番線と3番線の間に画像のような売店があり、競馬の開催時にはかなり繁盛していました。この撮影日は阪神競馬開催日なので京都競馬場は場外だけの発売日でした。それでも、よくこんな写真を撮っていたものだと思います。 下りホーム上の売店の3番線寄りの場所から見た淀駅下りホームの旧駅舎です。よく見ると、建物の補修などは行われていたようです。それでも基本的なデザインは古い建築に見えます。 その淀駅の旧・駅舎の建築年が気になりましたので、京阪の五十周年社史である「鉄路五十年」で確認しました。昔の京阪社史「鉄路五十年」によりますと、淀駅の開業は京阪本線の開業日である1910年(明治43年)4月15日です。この社史が刊行された1960年の時点での、淀駅の直近の駅舎の改築日(供用開始日)は1925年(大正14年)12月3日です。 Q.この1925年12月に淀駅にどういう変化があったのでしょうか?A.1925年(大正14年)に丹波の須知町(しゅうち ちょう)から淀の地に京都競馬場が移転してきました。  ↓調査結果詳細です。淀の京都競馬場開業後の初レース日に2種類の日付が見つかりました。 イ.ある競馬関連の書籍には1925年(大正14年)10月5日に淀の京都競馬場で初めてのレースが開催されたとあります。 ロ.『ウィキペディア(Wikipedia)』(2020年5月16日12時00分引用)では、   1925年(大正14年) 12月1日現在の地(淀)に移転。12月5日からレースを開催と書いてあります。 どちらかというと書籍よりも誤りが多い『ウィキペディア(Wikipedia)』なのですが、これに関しては改築後の淀駅の供用開始日と符合(マッチ)していることから、私の判定は、「ロ.」の『ウィキペディア(Wikipedia)』の1925年(大正14年) 12月1日移転・最初のレース開催日は同年12月5日という記述が正しいと思います。さらに判断材料を付け加えますと、「イ.」の1925年(大正14年)10月5日では不自然な月曜日開催になりますが、「ロ.」の1925年(大正14年)10月5日は淀駅の改修工事完成後最初の土曜日であり、競馬開催日としても自然です。 この左側が京都競馬場が作られる前の地図です。干拓地として有名な巨椋池(おぐらいけ)も元の池のままでした。地図の左端中央にある京都競馬場になった土地も巨椋池と同様の低湿地でした。ある資料によりますと、この競馬場用地は京阪電気鉄道が当時所有していた土地だったということです。その時代の京都競馬倶楽部には土地を買う余裕はなく、京都競馬倶楽部が京阪電気鉄道所有の遊休地に目をつけたというのが実態であるようです。↑1956年に撮影された京都競馬場付近の空中写真(出典:国土地理院)そういう低湿地の環境であることから、京都競馬場のコース内の池は景観のために作られたものではありません。競馬場の建設工事の際に、池を完全に埋めてしまうことが困難になり、池を埋め立てることを諦めてレースコースの中央に残ったのが京都競馬場の池なのです。1957年にオランダから白鳥(スワン)を輸入して池で飼育されてから、長年に渡って白鳥が京都競馬場の象徴になっていました。ところが、残念なことに、2016年12月に白鳥が鳥インフルエンザに感染していることが判明したため、やむなく全て処分されたそうです。それでも「スワンステークス(1958年開始。1984年のグレード制導入後はG2格のレース)」は今も続いています。 淀に移転する前の2代目の京都競馬場は、馬券販売が禁止されていた時代でしたので、馬券販売が目的ではない補助金競馬というものでした。そういう事情から、1913年から1925年までは京都市内から遠く離れた須知町(しゅうちちょう:現在は京丹波町の一部)にあった競馬場で馬券を販売しない軍馬改良のための補助金によって運営されていた競馬が行われていました。その須知町の競馬場の、さらに以前は京都市中心部にある島原に京都競馬場がありました。(下の地図を参照)それは「黙認馬券」時代の京都(島原)競馬場です。1907年(明治40年)に開設され、1912年(大正2年)に火災で競馬場施設が焼失するまで、借地の島原で競馬が開催されていたのです。島原の京都競馬場の跡地のその後は「京都瓦斯→大阪ガス→京都リサーチパーク」という変遷です。京都競馬場が須知町時代を経て淀に移転した1925年には旧・競馬法が公布済みで、馬券の販売が再び可能になっていました。以上のことから、旧淀駅の三角屋根の駅舎は、京都(淀)競馬場の観客輸送を見込んで京阪電気鉄道が建て替えた駅舎であり、それが大正時代の建築物であったことを「鉄路五十年」によって初めて知りました。 ここまでは興味のない方には退屈な話でしたので、ここで京都競馬関係の京阪電車の画像を入れておきます。私は、それほど京阪電車に偏ったレールファンではないため、かつての淀行臨時急行(馬蹄形の絵が入っていた看板ヘッドマークの通称『ウマ急』)の画像などは撮っていません。1999年から2003年までクロスシート車時代の9000系で運行されていた「淀快速ターフィー号」です。 2003年秋から2006年春頃まで運行されていた急行「ギャロップ号」です。この編成の京都方の電動車ユニットは元6000系のVVVF試験車から7000系に編入されたユニットです。画像の「ギャロップ号」は京都競馬開催日に、平常は枚方市止めの急行の一部を淀まで延長運転する感じの列車だったと思います。(2004年) これも今はありませんけれど、1990年代ぐらいまで京都(淀)競馬場の競馬開催日に競馬場正面の京都方の片隅にいつも駐車していた京阪バスのボンネットバスです。(車種はいすゞBXD30です。1978年に京都定期観光バスの50周年記念「おいでやす京都号」に使われたことがあります)このときに気になったので京阪バス関係者に確認したところ、競馬開催日の京阪バスがピストン輸送を行うため、バス運転士が交代で休憩するための移動式乗務員休憩室としてこの車両を使っているということでした。言うならば「事業用バス車両」だったのです。それを聞いたときに、ふいに少年時代の正月に八幡町駅(現在の八幡市駅)で目にした京阪の「移動変電所」を思い出してしまったのでございました。淀競馬の最終レースが終わった後、淀駅までの『オケラ街道』を歩いて帰る途中で、任務を終えたボンネットバスに抜き去られることがよくありました。自宅に2両ある京阪バスのボンネットバスの模型です。これはバスコレクションのものですが、パノラミックウィンドウではない運転席の斜め前に三角窓がある車体です。【そのボンネットバスは今!】2018年6月に将棋のプロ棋士である藤井聡太七段で有名な愛知県瀬戸市で東海ボンバス会に引き取られた元京阪バスの同じ車両(1969年式いすゞBXD30の『ボン太号』)と偶然にも再会しました。この塗装は昭和40年代の名古屋市バスの塗装です。 これは2005年に撮影した旧3000系ダブルデッカー車10周年記念ヘッドマークと「鞍馬連絡」の『ダブル』ヘッドマークです。 続いて、2004年3月に「新選組」の旅として伏見区を歩いたときに撮影した画像です。伏見の寺田屋です。 伏見みなと公園です。 伏見の駿河屋本店です。紀州徳川家とのつながりがあったため、和歌山の駿河屋と同名の屋号です。 伏見の駿河屋本店前にある「我が国における電気鉄道事業発祥の地」の記念碑です。 旧塗装時代の京阪8000系と宇治川派流です。 今は『幻の串カツ屋』以前に書いたことですが、若手社員だった頃に京都市内の事業所勤務だったことがあり、伏見区在住の先輩に何度か連れていってもらったことがある中書島(ちゅうしょじま)繁栄会商店街の「おやぢ亭」の看板です。(2004年撮影)店の看板の上部にある、伏見の酒の「名誉冠」は「酒は伏見の明(あけ)ごころ」ともども旧醸造元だった『名誉冠酒造株式会社』で醸造されていましたが、2005年から居酒屋「鳥せい」も経営している山本本家の「神聖(かあちゃん、いっぱい、やっかのCMで有名でした)」と同じ酒蔵で集約醸造する方式に変わっているそうです。(名誉冠は分家であり本家が山本本家)この2003年には「おやぢ亭」の店舗がまだありましたが、今は店舗が消滅しており『幻の串カツ屋』になってしまったようです。その先輩に教わった話では、中書島の地元では「ちゅうしょじま」という長い地名を省略して「シマ(島)」と呼ぶ習慣になっており、この近くにある長建寺も『シマの弁天さん』と呼ばれているということでした。そういうことから、この看板の店のことを、先輩は『シマのおやぢ亭』と呼んでいました。「シマの弁天さん」こと中書島の長建寺です。ここは、豊臣秀吉の伏見時代に律令制官職名が「中務少輔(唐名では中書)」だった脇坂安治(後の龍野藩脇坂家の藩祖)の下屋敷がここにあったことから、脇坂安治公の敬称である「中書(ちょうじょう)さま」の屋敷がある「島(中州)」の土地という意味が「中書島(ちゅうしょじま)」に変化していったとされています。難読で長い名称になっている「中書島」の由来は脇坂安治公からきているのです。長建寺門前の石碑には、寺から中書島駅への距離が一町(109.09m)であることを示す「京阪電車・市電(1970年に廃止された京都市電伏見線)乗場一町」の文字が昔のまま残っています。京阪電車の中書島駅です。左上が在りし日の京都市電伏見線の電車と中書島繁栄会の入口のアーチです。 左は、かなり昔に酒屋からもらった清酒「明ごころ」の一合升です。右は、2018年の「山陽・南海・京阪 沿線ぶらり名酒発見スタンプラリー」のときにもらった「山陽・南海・京阪」の鉄道会社名入りの「オリジナルおちょこ」です。♪おやぢみたいなヨー 酒呑みなどに ならぬつもりが なっていた(千昌夫さんの望郷酒場から) 2004年3月に撮影した江戸時代の淀藩の淀城石垣と旧・淀駅です。安土桃山時代の淀殿の淀古城は、ここよりも桂川に近い納所(のうそ)にありました。淀古城は納所小学校の北側あたりあったものと推定されています。淀駅の上りホームの壁は、元々は透明ではない普通の壁でした。1970年代あたりにプラットホーム側から淀城跡を眺めることができるようにホームの壁がガラス張りに変更されたみたいです。1957年にプラットホームが延伸されていますが、1956年頃の写真(著作権問題により非掲載)で確認したところ、この画像の中央あたりが淀駅の大阪方(当時の天満橋方)のプラットホームの先端でした。 最後は2006年の正月に初詣のついでに撮っていた京阪の旧・淀駅です。高架化前の淀踏切(市道淀187号線)から見た旧・淀駅の1・2番線です。 ガラス越しに淀城を見ることができた旧淀駅1番線ホームのガラスの壁です。♪ガラスの少年時代を 想いでたちだけ横切るよ ・・ 旧・淀駅の上りホームの三角屋根駅舎です。右奥が淀城跡公園です。與杼(よど)神社や稲葉神社があります。淀藩は江戸時代後半に稲葉家が藩主(10万2千石)になり、そのまま明治時代に廃藩になるまで淀藩主でした。藩祖の稲葉正成は淀城とは無関係ですが、稲葉家の藩祖ということで稲葉正成を祀っている神社が淀城跡公園内にある稲葉神社です。その稲葉正成が先妻と死別後に後妻になっていたのが「春日局(形の上では正成と離縁後に家光の乳母になった後で天皇から下賜された名号)」でした。 旧・淀駅の下りホームの三角屋根駅舎です。 参考画像:旧淀駅と同時代の三角屋根駅舎の例です。1.画像の上部は1930年(昭和5年)12月に完成し1931年(昭和6年)1月に営業を開始した江若鉄道近江今津駅の駅舎だった建物です。 (駅としては1969年に廃止されています。2001年撮影)2.画像左下は赤い三角屋根で有名だった中央本線国立駅の旧南口駅舎です。供用開始日は1926年(大正15年)4月1日でした。3.画像右下は1960年頃の淀駅の画像です。この写真では、晩年の屋根のスレートとは違うみたいですので、屋根は後年に葺き換えられたのでしょう。 三角屋根の駅舎は大正時代から昭和初期にかけて流行した、当時としてはモダンなデザインの駅舎でした。三角屋根の駅舎はリゾート地や観光地または新開発地区などの駅舎に採用されている例がほとんどです。1917年(大正6年)9月に竣工した現在の伊賀鉄道上野市駅(現在の愛称は忍者市駅)と松尾芭蕉像です。(2010年撮影) さらに、駅舎のファサード(正面)の一部が三角屋根になっている駅がかなり存在します。1928年(昭和3年)竣工の函館本線大沼公園駅(1986年撮影) 1931年(昭和6年)竣工の近江鉄道鳥居本駅(2000年撮影)この他に、私が思い出しただけでも、1920年(大正9年)竣工の東北本線白河駅、1934年(昭和9年)改築の篠ノ井線姨捨駅などがあります。 今回の記事にした旧淀駅の駅舎が三角屋根のデザインで作られたのは、京阪電気鉄道が1925年(大正14年)の淀・京都競馬場開設時に淀駅を新しいレジャーの玄関駅にふさわしいモダンな駅舎にしたいと考えたからなのでしょう。(おわり)【京都競馬場の改修について】京都競馬場は大改修工事のため2020年11月から2023年3月まで京都での競馬開催が休止になる予定です。京都競馬場の改修工事は競馬場の再開場後も2024年3月まで継続されます。 close

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タグ 京阪 鉄道
投稿日時 2020-05-18 14:22:22

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