ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道の詳細

ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
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記事タイトル ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
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シェーンハイデ保存鉄道 Museumsbahn Schönheide ヴィルカウ・ハスラウ Wilkau-Haßlau ~カールスフェルト Carlsfeld 間 41.634km軌間750mm、非電化1881~97年開通、1967~79年廃止1993年保存鉄道運行開始、2001…… more 年現行区間再開 【現在の運行区間】保存鉄道:シェーンハイデ・ミッテ Schönheide Mitte ~シュテュッツェングリュン・ノイレーン Stützengrün-Neulehn 間 3.9km シェーンハイデ・ミッテ駅へ向けて走る蒸気列車 ◆ 全国鉄道網から遠く離れた山中で、廃止済みの路線を一から再建し、自治体の支援を受けてボランティア団体が運営している(下注)。前回紹介したプレスニッツタール鉄道 Preßnitztalbahn が持つプロフィールは、この鉄道にも当てはまる。 *注 両鉄道とも、地元自治体が一般鉄道法 Allgemeines Eisenbahngesetz 上のEIU(鉄道インフラ事業者)およびEVU(鉄道輸送事業者)になっている。 シェーンハイデ保存鉄道 Museumsbahn Schönheide は、エルツ山地西部の高原地帯で運行されている750mm軌間の蒸気保存鉄道だ。ツヴィッカウ Zwickau の南20kmのシェーンハイデ Schönheide という田舎町にある、波打つ丘を渡る3.9kmのささやかなルートが、その活動場所になっている。 まだ冬の装いの林を抜けて シェーンハイデ周辺の地形図に狭軌鉄道のルートを加筆Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA  もちろんこの路線も、かつては全国鉄道路線網に2か所で接続された地域の交通軸だった。ツヴィッカウ近郊の標準軌線の駅ヴィルカウ・ハスラウ Wilkau-Haßlau を起点に、シェーンハイデを経由し、シェーンハイデ・ジュート(東駅)Schönheide Süd(旧名ヴィルチュハウス Wilzschhaus)で再び標準軌線と接続した後、エルツ山地の奥深く、標高816mのカールスフェルト Carlsfeld という村まで達していた。路線長42kmの、ザクセンで最も長大な狭軌線だった。 それだけでなく、このヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道は、ザクセンで最初に開通した750mm狭軌線という、記念すべきタイトルも有していた。 往路は下り坂で、機関車は後退運転  南部の山がちな地域に鉄道の恩恵を行き渡らせるには、導入費用が安価で、ルート設計に小回りの利く狭軌が最良の選択肢になる。そう考えたザクセン王国政府は、1876年から狭軌鉄道の建設法案を議会に提出していたが、1880年にようやく可決されて、路線の着工に至る。その一つが、ヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道の根元区間に相当する、ヴィルカウ・ハスラウ~キルヒベルク Kirchberg 間6.3kmだった。 シェーンハイデ保存鉄道とその周辺の路線図破線は廃線または休止線  線路の大半が街道に横付けする形にされたので、工事は容易で、早くも1881年10月に開通式が行われている。ちなみに、同じ法案に盛り込まれていたヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn は、通過する地形に手こずったため、開通は1882年10月と、「同期生」に1年の遅れを取った。 先んじた方は、キルヒベルクまで列車が走り始めた時点で、すでに隣村のザウパースドルフ Saupersdorf(後の上駅 ob Bf)へ3.6kmの延伸線も着手されており、翌1883年に開通を果たしている。 旧ヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道の子供用車内乗車券シェーンハイデ・ジュート以遠廃止後の発行Photo by Klaaschwotzer at wikimedia. License: CC0 1.0  ここまでを第1区間とすると、第2区間は、周辺自治体から誘致の要望が百出し、ルート決定までに長い時間を要した。最終的にシェーンハイデ経由で、ヴィルチュハウスで標準軌のケムニッツ=アウエ=アードルフ線 Bahnstrecke Chemnitz–Aue–Adorf と接続することが決まり、開通したのは、第1区間から10年も後の1893年になった。 長さ24.3kmのこの区間は、地勢がより複雑で、高低差も大きい。そのため、道路から独立し、勾配緩和のために迂回路をとり、深い谷をトレッスル橋で渡るなど、山岳鉄道らしいルート設計が施されている。後で見るように、シェーンハイデ保存鉄道の列車が走るのも、そうした特徴を備えたルートだ。 ヴィルチュハウス(後のシェーンハイデ・ジュート)駅付近の狭軌鉄道2本の高架橋の間で標準軌線をまたいでいる画面奥に駅がある(1905年ごろの絵葉書)Image from wikimedia. License: Public domain  最後の第3区間は、ヴィルチュハウスからカールスフェルトまでの7.3kmだったが、エルツ山地の最奥部で、採算が疑問視されたこともあって着工が遅れ、開通は1897年までずれ込んだ。工費節約のために、線路の多くが再び道路に横づけされた。谷を遡るルートは勾配が最大50‰にもなり、貨物も運ぶ蒸気鉄道としては限界に近いものだった。 カールスフェルトの市街地と駅(1897~1910年の間の絵葉書)Image from wikimedia. License: Public domain  貨物輸送では、標準軌貨車を直通させるロールワーゲン方式が1907年以降、順次導入されていったが、キルヒベルクの市街地では車両限界の拡充が難しかった。ようやく1960年代初めに、この区間で線路移設を含む提案がなされたが、時すでに遅く、1964年に政府は、国内の狭軌鉄道を全廃する方針を決定した。 これはすぐに実行に移された。1966年に、末端のヴィルチュハウス~カールスフェルト間で旅客輸送が休止されたのを手始めに、数年の間にほとんどの区間で列車が消えた。最後まで残ったのは、中間部のローテンキルヘン Rothenkirchen ~シェーンハイデ・ジュート間で行われていたブラシ製造会社の貨物輸送だが、これが1977年に休止となった(廃止は1979年1月1日)ことで、路線の歴史にいったん幕が下ろされた。 シェーンハイデ・ノルト~シュテュッツェングリュン間開業初日シェーンハイデ・ミッテ駅車庫前にて(1997年12月5日)Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0  廃線跡で保存鉄道の活動が始まったのは、ドイツ再統一後のことだ。1991年にシェーンハイデ/カールスフェルト保存鉄道協会(現 シェーンハイデ保存鉄道協会 Museumsbahn Schönheide e. V.)が設立されて、線路の再建作業が始まった。シェーンハイデ・ミッテ~ノイハイデ Neuheide(現 シェーンハイデ・ノルト)間が1993年に再開され、その後1997年と2001年の段階的延伸を経て、現在の終点シュテュッツェングリュン・ノイレーン Stützengrün-Neulehn まで列車が走れるようになった。 シュテュッツェングリュン・ノイレーン停留所と線路終端(2011年)Photo by Knergy at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0  なお、南にあるシェーンハイデ・ジュートとカールスフェルトの駅跡でも、1999年に設立された西部ザクセン保存鉄道振興協会 Förderverein Historische Westsächsische Eisenbahnen e.V. という別の組織が、駅構内の線路を復元し、保存列車の公開走行を随時行っている。協会は、シェーンハイデ・ジュートで接続していた標準軌のアウエ=アードルフ線 Bahnstrecke Aue–Adorf の廃線跡も所有し、管理している。 ◆ シェーンハイデ保存鉄道が拠点としているのは、シェーンハイデ・ミッテ Schönheide Mitte 駅(下注)だ。確かに町を貫く中央通り(ハウプトシュトラーセ Hauptstraße)に同名のバス停もあるものの、そこから駅らしきものは見えない。かつて駅構内はもっと広がり、通りからも見渡せたのだが、廃止後、飲料販売会社の倉庫用地に転用されてしまった。 *注 1950年にシェーンハイデから改称。 それで保存鉄道の駅は、倉庫の前の道を北へ200mばかり入った機関庫周辺に設けられている。小さな保存鉄道を象徴するような、小ぢんまりとしたスペースだ。ホームが不自然に急カーブしているのも、倉庫を避けて入換用側線を延ばす必要があったからだ。 シェーンハイデ・ミッテ駅 カーブした狭い構内 シェーンハイデ・ミッテ駅倉庫を避けて延びる入換用側線  鉄道の運行は不定期で月2回程度しかなく、乗車の機会は限られる。しかし、運行当日はルートの短さを逆に生かして6往復走るので、沿線での撮影チャンスが増えていいだろう。片道の所要時間は往路27分に対して、復路は21分。往路のほうが長い理由はあとでわかる。 機関車は、1992年に当時のDR(ドイツ国営鉄道)から調達された2両のザクセンIV K形蒸機(下注)のどちらか、または製紙工場からもらわれてきたV 10 Cディーゼル機関車が出動するはずだ。無蓋貨車を改造した展望車も連結されるので、外の景色を存分に楽しむことができる。 *注 協会は全部で3両のIV K機を所有しているが、1両はザクセン・スイス Sächsische Schweiz 地方の保存鉄道シュヴァルツバッハ鉄道 Schwarzbachbahn に貸し出されている。 IV K形蒸機 99 582、1912年製 機関庫にはVI K形があと2両いた(2013年撮影)99 585はその後、他の保存鉄道に貸出された 展望車側面の広告ヴェルネスグリューナー Wernengrüner は地元の銘柄ビール  切符は走行中に車掌から買えばいいので、さっそく乗り込むことにしよう。汽笛一声、列車はゆるゆると駅を離れる。駅横の踏切を越え、主信号機の前を通過する頃、目の前に、広く深い谷間となだらかな丘が連なる高原の風景が展開する。正面遠方に見えるレンガ色の大きな工場が、これから向かうシュテュッツェングリュン駅のある場所だ。始発駅が標高678mとルートで最も高いこともあり、ここが最も見晴らしがいい。 (左)出発するとすぐ高原の風景が広がる(右)落葉樹の林を行く ミッテ駅北方から望む高原風景手前はノイハイデの集落丘の上のレンガ色の建物の前に列車の目的地がある  列車は、谷を巻くために左へカーブしていく。線路は下り勾配になっている。クーベルク Kuhberg の山裾にある大きなS字カーブを回った先に、一つ目の停留所シェーンハイデ・ノルト Schönheide Nord(北駅、旧名はノイハイデ Neuheide)がある。ここも廃線後、跡地がガレージに転用されたため、現在の通過線と待避線は駅構内から少しずらして設けられた。 ノルト停留所右のガレージを避けてカーブする線路  この後はまた林の中の大きな右カーブで、先ほど見えていた向いの丘にとりつく。そのままレベル(水平)で進んでいくと見えてくるレンガ色の大きな建物が、旧線時代に貨物輸送の最後の顧客だったブラシ製造工場のビュルステンマン Bürstenmann だ。建物に隣接して、シュテュッツェングリュン駅(下注)がある。 *注 旧線時代、正式なシュテュッツェングリュン駅がここから2km北にあり、現駅は工場の通勤客が使う同名の停留所だった。 (左)このカーブを曲がるとシュテュッツェングリュン駅(右)ブラシ製造工場の前の駅名標 ミッテ駅北方から見た同 工場建物蒸気列車の煙が上がる  ここでは7分停車する。早くも機関車が切り離され、側線を通って列車の後方に走っていく。機回しは、終点で列車を方向転換するための作業のはずだが、なぜ中間駅で行うのだろうか。 実は、終点シュテュッツェングリュン・ノイレーンが行き止まりの棒線停留所(下注)で、機回しに使う側線がない。そのため、列車はシュテュッツェングリュンからバックする形で走り、終点で単純に折り返す。駅間距離も500mほどに過ぎず、引上げ線を往復しているようなものだ。 *注 旧線時代、ここに乗降施設はなかった。現停留所は保存鉄道の終点として設置されたもの。 シュテュッツェングリュン駅での機回し作業 ギャラリーが見守る中、再連結  シュテュッツェングリュンを出た列車は右カーブで森の切通しに入っていき、ノイレーンに到着する。線路はかつて踏切だった道路の手前で途切れていて、以遠の線路跡は草むらに埋もれている。 ここで線路が終端となる理由は、この先で旧線が渡っていた大小2本のトレッスル橋が、すでに撤去されてしまっているからだ。廃線後、自治体は鉄道記念物として保存する計画だったが、財政上の理由で断念した。一方、起点のシェーンハイデ・ミッテ以南も用地の転用が進んでおり、シェーンハイデ保存鉄道がこれ以上ルートを拡張することは難しいのが実情だ。 シュテュッツェングリュン・ノイレーン駅に到着 ◆ では最後に、公共交通機関によるアクセスについて記しておこう。 保存鉄道駅の最寄りバス停は、先述の通り、中央通りにあるシェーンハイデ・ミッテ Schönheide Mitte だ。ここへは、東からアウエ Aue 発の、西からアウエルバッハ Auerbach 発のバス路線が通じている。 まず、DBアウエ駅前からは、平日の場合、351系統の直行便がある。休日は、373系統でアイベンシュトック(自由広場)Eibenstock, Platz des Friedens まで行き、そこで351系統に乗り換えてシェーンハイデに向かうことになる。所要時間は50分前後。時刻表はエルツ山地地域交通 Regionalverkehr Erzgebirge, RVE https://www.rve.de/ を参照されたい。 また、DBアウエルバッハ下駅 Auerbach unt Bf の駅前からは、61系統(RVE管内のバス停では V61 と表記)が直行する。こちらは所要27分と近いが、休日は電話による事前予約制になっているので注意。時刻表はフォークトラント運輸連合 Verkehrsverbund Vogtland, VVV https://vogtlandauskunft.de/ にある。 ミッテ駅に戻っていく蒸気列車  写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。 ■参考サイトシェーンハイデ保存鉄道協会 https://www.museumsbahn-schoenheide.de/西部ザクセン保存鉄道振興協会 https://www.fhwe.de/ ★本ブログ内の関連記事 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道  ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道  ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道  ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道  ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道  ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道  ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道 close

ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
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投稿日時 2022-01-31 15:00:22

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