リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶の詳細

リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶
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記事タイトル リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶
概要

急勾配の線路を上り下りするために、2本の走行レールに加えて第3のレールを用いて、推進力や制動力を高める鉄道がある。その大部分は、地上に固定した歯竿(ラック)レールと、車体に装備した歯車(ピニオン)を噛ませるラック・アンド・ピニオン方式、略してラック式と呼ばれるものだ。代名詞的存在…… more のアプト式をはじめ、いくつかのバリエーションが造られた。 リムタカ・インクラインを上る4重連Photo by Archives New Zealand from wikimedia. License: CC BY-SA 2.0 しかし、フェル式 Fell system はそれに該当しない。なぜなら、中央に敷かれた第3のレールはラックではなく、平滑な双頭レールを横置きしたものに過ぎないからだ。坂を上るときは、このセンターレールの両側を車体の底に取り付けた水平駆動輪ではさむことで、推進力を補う。また、下るときは同じように制輪子(ブレーキシュー)を押し付けて制動力を得る。 ■参考サイトレール断面図http://www.rimutaka-incline-railway.org.nz/history/fell-centre-rail-system この方式は、イギリスの技師ジョン・バラクロー・フェル John Barraclough Fell が設計し、特許を取得したものだ。ラック式ほど険しい勾配には向かないものの、レールの調達コストはラック式に比べて安くて済む。1863~64年に試験運行に成功したフェルの方式は、1868年に開通したアルプス越えのモン・スニ鉄道 Chemin de fer du Mont-Cenis で使われた。フレジュストンネル Tunnel du Fréjus が開通するまで、わずか3年間の暫定運行だったが、宣伝効果は高く、これを機に、フェル式は世界各地へもたらされることになる(下注)。 *注 現存しているのは、マン島のスネーフェル登山鉄道(本ブログ「マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道」参照)が唯一だが、中央レールは非常制動用にしか使われない。 ニュージーランドの植民地政府もまた、この効用に注目した。当時、北島南端のウェリントン Wellington からマスタートン Masterton 方面へ通じる鉄道(現 ワイララパ線 Wairarapa Line)の建設が準備段階に入り、中間に横たわるリムタカ山脈をどのように越えるかが主要な課題になっていた。 ルート調査の結果、カイトケ Kaitoke(当時の綴りは Kaitoki)からパクラタヒ川 Pakuratahi River の谷を経由するところまで、案は絞られていた。峠の西側の勾配は最大1:40(25‰)で、蒸機が粘着力で対応できる範囲に収まるため、問題はない。一方、東側は谷がはるかに急で、なんらかの工夫が必要だった。勾配を抑えるために山を巻きながら下る案は、あまりの急曲線と土工量の多さから退けられ、最終的に、平均1:15勾配(66.7‰、下注)で一気に下降する案が採用された。 *注 縦断面図では1:16(62.5‰)~1:14(71.4‰)とされている。 旧ワイララパ線とリムタカ・インクライン フェル式を使うインクライン(図では梯子状記号)は、峠の西側のサミット~クロス・クリーク間Sourced from maps of NZMS 262 8 Wellington. Crown Copyright Reserved. この長さ3マイル(4.8km)のインクライン(勾配鉄道)に導入されたのが、フェル式だ。特殊な構造の機関車が必要となるものの、客車や貨車は直通でき、実用性もモン・スニで実証済みだというのが、推奨の理由だった。当時、山脈を長大トンネルで貫く構想もすでにあり、インクラインは暫定的な手段と考えられたのだが、実際には、フェル式を推進と制動の両方に使用するものでは72年間と、最も寿命の長い適用例になった。 建設工事は1874年に始まり、予定より遅れたものの1878年10月に完成した。これでウェリントンからフェザーストン Featherston まで、山脈を越えて列車が直通できるようになった。 フェル式区間であるサミット Summit ~クロス・クリーク Cross Creek 間には、イギリス製の専用機関車NZR H形(軸配置0-4-2)が投入された。開通時に1875年製が4両(199~202号機)、1886年にも2両(203、204号機)が追加配備されている。また、下り坂に備えて列車には、強力なハンドブレーキを備えた緩急車(ブレーキバン)が連結された。これら特殊車両の基地は、峠下のクロス・クリーク駅にあった。通常の整備はここで実施され、全般検査のときだけ、ウェリントン近郊のペトーニ Petone にある整備工場へ送られたという。 唯一残るフェル式機関車(フェル機関車博物館蔵 H 199号機)© Optimist on the run, 2002 / CC-BY-SA-3.0 & GFDL-1.2. 床下に潜れば、センターレールとそれをはさむブレーキシューが見える© Optimist on the run, 2002 / CC-BY-SA-3.0 & GFDL-1.2. 当初インクラインを通行する列車は、機関車1両で扱える重量までとされた。制限は徐々に緩和され、1903年の貫通ブレーキ導入後は、最大5両の機関車で牽くことも可能になった。しかし、機関車ごとに乗員2名、列車には車掌、さらに増結する緩急車でブレーキ扱いをする要員と、1列車に10数名が携わることになり、運行コストに大きく影響した。また、インクラインでの制限速度は、上り坂が時速6マイル(9.7km)、下り坂が同10マイル(16km)で、機関車の付け替え作業と合わせ、この区間の通過にはかなりの時間を費やした。 ワイララパ線は、1897年にウッドヴィル・ジャンクション Woodville Junction(後のウッドヴィル)までの全線が完成している。ギズボーン Gisborne 方面の路線と接続されたことで輸送量が増え、20世紀に入ると、H形機関車の年間走行距離は最初期の10倍にもなった。 1936年、鉄道近代化策の一環で、ウェリントン~マスタートン間に軽量気動車RM4~9が導入された。センターレールに支障しないよう、通常の台車より床を12インチ(305mm)高くした特別仕様車だった。速度の向上が期待されたのだが、実際には時速10~12マイル(16~19km)がせいぜいだった。 リムタカのボトルネックを解消する抜本策が、バイパストンネルの建設であることは自明の話だった。1898年に詳細な調査が実施され、マンガロア Mangaroa ~クロス・クリーク間を直線で結ぶ約5マイル(8km)のトンネル計画が練られた。1920年代と30年代にもそれぞれ再調査が行われたが、いずれも建設費捻出の見通しが立たなかった。 懸案への対処が先送りされた結果、第二次世界大戦が終わる頃には、リムタカの改良は待ったなしの状況になっていた。機関車もインクラインの線路も、長年酷使されて老朽化が進行していたからだ。1947年に決定された最終ルートは、当初案のクロス・クリーク経由ではなく、一つ北のルセナズ・クリーク Lucena's Creek(地形図では Owhanga Stream)の谷に抜けるものになった。トンネルを含む新線は1948年に着工され、1955年に竣功した。 これに伴い、旧線の運行は1955年10月29日限りとされた。最終日には、稼働可能なH形機関車全5両を連結した記念列車がインクラインで力走を見せ、多くの人が別れを惜しんだ。切替え工事を経て、新線の開通式が挙行されたのは同年11月3日だった。 インクライン運行最終日に坂を下るH形4重連Norman Cameron "Rimutaka Railway" 表紙写真 リムタカ迂回線 Rimutaka Deviation は、延長39.0kmあった旧線区間を14.4kmも短縮するとともに、最急勾配は1:70(14.3‰)、曲線半径も400mまでに抑えた画期的な新線だ。その結果、旅客列車で70分かかっていたアッパー・ハット~フェザーストン間がわずか22分になった。貨物列車も所要時間の短縮に加え、長編成化が可能になって、輸送能力が格段に向上した。 新線は全線単線で、トンネルをはさんで西口のメイモーン Maymorn 駅と東口のリムタカ信号場 Rimutaka Loop にそれぞれ待避線が設置されている。リムタカトンネル RimutakaTunnel は長さ 8,798mと、当時ニュージーランドでは最長を誇った(下注)。 *注 1978年に東海岸本線 East Coast Main Trunk Line の短絡線として、長さ8,850mのカイマイトンネル Kaimai Tunnel が完成するまで、最長の地位を守った。 リムタカトンネル開通式の案内Photo by Archives New Zealand from wikimedia. License: CC BY-SA 2.0 トンネルには、ほぼ中間地点に換気立坑 ventilation shaft があり、旧線が通るパクタラヒ谷の地表面に達している。実はこれは、トンネル完成後に追加された工事だ。この区間はもともと架空線方式の電化が想定されていたが、経済的な理由で非電化のままになった。ディーゼル機関車の試験走行を行ったところ、自然換気だけでは排気が十分でないことが判明し、急遽対策がとられたのだ。 新線への切替え後、列車の往来が途絶えた旧線では、すぐさま施設の撤去が始まった。H形機関車は、長年走り続けた線路の撤去作業を自ら務めた。それが終わると、ハット整備工場へ牽かれていき、そこでしばらく留置された。そして翌年除籍され、フェザーストンの町に寄贈された1両を残して、あえなく解体されてしまった。 まだ使用可能だったフェルレールと緩急車は、再利用するために南島のレワヌイ支線 Rawanui Branch(下注)へ移送された。こうして、77年間のリムタカ・インクラインの歴史は幕を閉じたのだった。 *注 ニュージーランドにはリムタカのほかにも、フェル式が使われた路線がある。南島北西部の鉱山支線であった上記のレワヌイ・インクライン Rawanui Incline(使用期間 1914~66年)とロア・インクライン Roa Incline(同 1909~60年)、ウェリントン ケーブルカー Wellington Cable Car(同 1902~78年)、カイコライ・ケーブルカー Kaikorai Cable Car(ダニーディン Dunedin 市内、期間不明)だが、いずれも制動のみの使用だった。 次回は、インクラインを含む旧線のルートを地形図で追ってみたい。 本稿は、Norman Cameron "Rimutaka Railway" New Zealand Railway and Locomotive Society Inc., 2006、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。 ★本ブログ内の関連記事 ニュージーランドの鉄道地図 マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道 close

リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶
サイト名 地図と鉄道のブログ
タグ オセアニアの鉄道 廃線跡 登山鉄道 鉄道
投稿日時 2017-07-24 08:40:03

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